まっ、そんな感じ

見聞きしたことを徒然と書いてます。

柴又さんぽー柴又八幡神社 11/03

柴又にある「柴又八幡神社」に行ってきた。
(なんでわざわざ?)と思われるかもしれないが、実はここ、東京下町唯一の前方後円墳の上に立てられている神社で、今日は本殿下にある古墳石室を公開していたんですよ。
遺跡好きとしては(これは行くでしょ!!)というわけです。

柴又八幡神社古墳

www.city.katsushika.lg.jp

とはいえ、実は(そんなに有名なの?)と思ってました。

柴又八幡神社古墳は、6世紀末から7世紀初頭までに造営された前方後円墳です。
昭和40年(1965)から現在までに6回の発掘調査が行われています。
都内における学術調査による埴輪出土例はごくわずかであり、そのなかでも人物埴輪や円筒埴輪が良好な状態で多数出土した都内唯一の事例として著名です。

こんなところにも独自のページがあるという……すいません、侮ってました💦

そして、どのくらいの人が見に来るんだろうと思っていたら、3時の段階で鳥居から本殿まで人がズラッと並んでました……重ね重ね、すいません💦

事前説明あり

単に数名ずつ入ってみるだけなのかと思ったら、事前説明に資料も配られ、石室でも説明あり。有志の方々で運営されているようだが、至れり尽くせりだった。

石室はどこにある?

さて、石室はどこにあるかというと『本殿の真下』で、入り口はここ。

そう、本殿をグルッと後ろに回ると見えるこの金属の扉の中が石室です。

いよいよ石室へ

扉を開けて入るとこんな感じで、石室の足下が手前、頭が奥となっています。
全景はこんな感じ。

奥正面に飾られた木箱の中には、左:(聞き忘れ)壷、中:円筒埴輪、右:(聞き忘れ)壷。
側面奥には出土した鉄剣、側面手前には出土した須恵器の欠片が展示されている。

石室を構成しているブツブツと穴の開いた石は房州石、産地は千葉の鋸山辺りだそうです。
この房州石、ここの他にも北区赤羽台や埼玉県の遺跡などでも使われていて、もらった資料と説明によると、この前方後円墳は昔の海岸と江戸川に繋がる川の間、突き出た岬のようなところに作られていて、房州(千葉)から運ばれた石がここから内陸に川を使って運ばれたのではないか、と考えられているそうです。

木板の内容

石室上に掲げられている木板の文章を書き起こし。

この竪穴式石室は、はやくからすでに有名であった。内部の構造を遺す古墳としては東京の下町から国府台の間に拡がる広大な地域中唯一の存在である。

しかし、旧社殿をこわして見ると江戸時代に於ける数度の社殿工事によって、全く破壊されていることが判明したので慎重な研究の結果、できる限り元の姿に復原したものである。

以前から保存されている埴輪円筒、須恵器の外、その破片、直刀、刀子の残鉄、朱塊、遺骨などが転々と発見され、かなり有力な豪族の墳墓であることが指定される。

この古墳は出土遺品や石室の状態から考えて千三百年乃到四百年以前のもので、養老の戸籍に載せられた『大島郷島俣里』の人々より更に昔のことである、初めてこの地方を開拓した人々の首長の墓であったことに間違いない。

 永峯光一先生述

この永峯光一先生は、1965年(昭和40年)、神社社殿改築に伴う石室の調査ならびに報告をした先生で、結構あちこちの遺跡調査をされている方らしい。

出土品はどこで展示されている?

見ての通り、ここは神社で出土物を展示するようなスペースはない。
ということで、出土品は『葛飾区郷土と天文の博物館』に展示されている。
ここで問題。
実は柴又八幡神社から葛飾区郷土と天文の博物館は距離的にはほどほど近いのに、公共交通機関ではものすごく行きづらい。(なお、徒歩だと50分……らしい)

次にこの博物館はあくまで『葛飾区の郷土と天文』を扱っているので、〝全展示物の一部〟として出土物を展示している。

よって、両方見てきた私としての感想は(遺物が目的なら、わざわざ行かなくてもいいんじゃないのかな?)ってところ。
ちなみに出土物はこんな感じに展示されている。

ただ、かつしかを古代から現代までトータルで見せているのはおもしろかったし、天文の展示は見せ方がうまかったですよ。