まっ、そんな感じ

見聞きしたことを徒然と書いてます。

龍角寺とその周辺の古墳群に行ってきた 11/03

千葉県には古墳がたくさんあるというのは知っていたのですが、いずれも車でないと行きづらく、例によってクラブツーリズムのバスツアーを利用しました。
特に今回は国指定重要文化財で白鳳仏として貴重な龍角寺のご本尊 薬師如来坐像を拝殿窓から拝観できる、105号墓の石室が覗けるというので楽しみにしていました。

龍角寺がある栄町教育委員会のページによれば、今年2026年度に拝観できる予定の日はわずか21日。やっぱりその日に併せたツアーを利用するのが便利です。

栄町教育委員会 龍角寺でのボランティアガイドについて

https://www.town.sakae.chiba.jp/kyouikuiinkai/bunkazai/page005873.html 

今回のコースは、龍角寺→千葉県立房総のむら・風土記の丘資料館・龍角寺古墳群・岩屋古墳→芝山町立芝山古墳・はにわ資料館 というもの。

龍角寺

7世紀後半には既に建立されていたとされ、三重塔の心礎(国指定史跡)や塔跡、金堂跡が残る関東最古級のお寺で、火事で燃えて顔と一部しか残らず、後世に体を作って一体にし、昭和の文化財法の改定で「重要文化財」になってしまった「元」国宝の白鳳仏がいらっしゃいます。

元々は「龍〝閣〟寺」だったが、日照りに苦しむ住民が龍閣寺で祈祷を続け、結願するも雨は降らず、そこに「魂が癒やされた」と村人に化けていた竜神(但し龍としての位は下位)が天に昇って雨を降らせるが、本来なら上位の龍だけができる行為だったため罰として体を三つに切られてしまう。その落ちた首を祀り、「閣」から「角」に変えたという逸話が残っています。
今日はその祀られている「龍の首」も見ることができました。
その首、意外に小さく横20cmくらいでしょうか。

堂内の撮影はできないのでお堂の外から見るだけですが、ボランティでアさんが用意している写真を見せながら説明をお寺の由来などを聴く形の参詣でした。

左)金堂跡の礎石  中)三重塔の心礎(巨大な花崗岩)  右)校倉造の資料庫

左)二荒神社  中)宝篋印塔(後に供養塔・墓碑塔になる前の形)  右)板碑(武蔵型緑泥石岩)

ご朱印ですが、宝篋印塔奥の建物でいただけます。
書き置きで300円ですが〝お釣りのご用意はありません〟、また奥の二荒神社にも書き置きがあり、こちらは〝お気持ち〟でした。

岩屋古墳と105号墓

古墳時代後期〜末期の古墳で現在確認されているの115基。
その7割以上が「千葉県立房総のむら」の敷地内にあります。
とにかく道を歩いていて見かけるボコッと小さな山が古墳と思えば間違いないくらい(笑)

その中でも7世紀のものとして全国最大規模の古墳である方墳が「岩屋古墳」で、「龍角寺古墳群・岩屋古墳」として国の史跡になっています。
そして、そのすぐ隣にあるのが方墳の105号墓です。位置的にはこんな感じ。

岩屋古墳

こちらも方墳ですが、既に崩れていて、石室がむき出しに見えます。

105号墓

105号墓には東石室(高さ3m)と西石室(高さ2m)と2つの石室があります。
このうち東石室は天井が落ちて危険なため、封鎖されています。
今回は年に2回だけある西石室の公開日で3段ある方墳の上にも登れました。
こうして見ると、岩屋古墳が3段の方墳で最上階が崩れているのが良く分かります。

西石室

入ることはできませんが、入口から中を覗くことができます。
左)石室に使用されている石の説明などをしてもらえます。
右)石室の奥、ライトで照らされて石棺がよく見えます。

左)天井。側面の石とは種類の違う石が使われているのが良く分かります。
中)床。ここも石の種類が違います。
右)側面。切りそろえた石がきれいに積まれているのが良く見えます。

芝山はにわ博物館

観音寺教寺のお坊さんが収集したはにわを中心に芝山町周辺から出土したはにわを展示している博物館。こじんまりしているがたくさんはにわが展示されています。

芝山町周辺には5〜8世紀にかけての古墳群があり、有名なのは殿塚・姫塚なんですが、今回は未訪問。

左)博物館に行く途中の道から見える観音寺教寺の三重塔。
中)博物館前の殿塚・姫塚の縮小レプリカ。
右)博物館内の床に描かれた周辺マップ。

 

左)殿部田1号墓から出土した「琴を弾く男」のはにわ。
中)殿部田1号墓から出土したはにわ。
右)ユダヤ人か?と囁かれているはにわ。まあ、帽子の形と髪形から言われているんでしょうが……。

古墳というと〝外から見る〟のが定番の中、石室内を見られたり、登れたりできるのはなかなか貴重な経験でした。
そう言えば、規模は違うけど、ギザのピラミットにも入ったなぁ〜

「四世片岡亀蔵を囲む会」に参加してきた 10/13

昨年亡くなった「四世片岡亀蔵」さんを囲む会に参加してきた。
私にとって「亀蔵さん」は中村屋とともにあり、演目に名前があると(おっ、亀蔵さんが出るのか)と期待する人でもあった。

特別映像

これまで亀蔵さんが演じた役と、歌舞伎以外の演出家たちのコメントで構成された映像。
しんみり……なんてことはなく、観客は歌舞伎に詳しい方ばかりなのでとにかく映像が替わるたびに湧き上がる拍手と爆笑。

出演した演出家は串田和美、野田秀樹、いのうえひでのり、宮藤勘九郎の4名。
それぞれが印象やら演技に対する姿勢だとか話されるのだが、これがまたおもしろくて。

特に大受けだったのが 野田版「研辰の討れ」の「からくり人形」。
この扮装自体も爆笑ものなのに、退場時に歌う歌についてに凝っていて、千秋楽の歌はそれまでと違い、強い思いを込めたまさかの「百恵ちゃん」(笑)
このシーンを見られただけでも大満足!!(当時は千秋楽のチケット、取れなかったんです)
この演目はシネマ歌舞伎やDVDで観られます。演目自体も含め必見の作品。

続いて、なんと言ってもゾンビ映画大好きな亀蔵さんが切望したゾンビ物の「大江戸りびんぐでっと」、演じたのは「悟った〝いるか〟の開き」もう絶対おかしいでしょ(笑)
これもシネマ歌舞伎やDVDで観られます。演目自体も含め必見の作品。

そして「法界坊」での永楽屋番頭 正八、もう何も言いません。
と言うか、私のつたない言葉では説明しきれません。とにかくシネマ歌舞伎やDVDで観られます。演目自体も含め必見の作品。

この日のこの映像、また観たいです!!

座談会

出演は看板に記載順に、中村勘九郎、中村七之助、笹野高志、中村芝翫、中村扇雀、中村鴈治郎の6名。最初こそ唯一歌舞伎役者ではない笹野さんは少し居づらさそうにしていたものの、話の興が乗るとしっかり目立ってました(笑)

数字としての年齢は知っていましたが、鴈治郎さんより3才下、扇雀さんは亀蔵さんのお兄さんと同い年で亀蔵さんは1才下、芝翫さんと亀蔵さんのお父さんが飲み友達とか、歌舞伎役者の繋がりが知れて(ほうほう、そんな関係なんだ)と。

扇雀さんが語る「法界坊」での話、「お組(扇雀)に迫る正八(亀蔵)の演技が毎回異なっていた上、その振る舞いの奇怪さに笑いと恐怖を隠すのが大変だった」とか、笹野さんがその演技の「型」に一つ一つ名前をつけ、「歌舞伎の型にした方がいい」と発言。
それに対して扇雀さんの「あれは他の誰もできないから無理」とか(笑)
(確かにあれは無理だと思う)

今年8月、歌舞伎座にかかった「らくだ」の馬太郎についても、死人なのでその黄色い肌色に苦労し、笹野さんが以前ベルリンで購入したものがバッチリだったのだが、実はそれ「毛染」だったらしいく、なかなか落ちなかった、とか。

ニューヨークでの初平成中村座の話が出てきて、やっぱりTV特番で見た勘三郎始め皆さんの様子を思い出した。(このときの写真集、買いました!!)
ちなみに、笹野さんが着ていたツルのアロハはその時に購入したもので、勘九郎さんが着ているゾンビのアロハは亀蔵さんの形見分けの品とのこと。

旨いお店を見つけるのは抜群だったのに極度の方向音痴だったとか。
七之助がラフな格好で楽屋に入ったのを叱ったりする、服はおしゃれなのにその色合いには疑問が残るなどなど。
普段の亀蔵さんが知られて、本当に楽しい会でした。

なお、小屋内にはお好きだったジャズが流れていて、なんとなくパルコ劇場で毎年始めに開催される志の輔さんの独演会を思い出した。

小屋内にいたのでMCさんが途中紹介してくれた「虹」を見ることはできなかったのですが、Xに投稿された画像を見て、ああっ亀蔵さんも喜んでるのかな?と思ったりして。

亀蔵さんの舞台、もっと観たかったなぁ……

 

談春塾 2026 に行ってきた 10/12

「だんじりは死亡者が出ると3年祭りを自粛するらしいですね」とおっしゃっていましたが、これはあくまで死亡者を出した当該の町や組の自主判断らしいですよ。
また、インスタグラムへの投稿に苦労した話とか、語られてました(笑)

さて、中入り的なところで語られたのが最近亡くした知人のこと……なんですが、まるで落語のような話に会場は笑いの渦。
『ここだけの話』ということで詳しくは書きませんが、Xで師匠はこの部分を「暑いーっ」としていました。

演目

道灌

弟子入りして初めて教わる噺の内の一つで、あの「実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」で有名な太田道灌の噺です。

何度か色々な人で聴いているはずなのですが、この噺(こんなに長かったのか?)と感じました。普段は途中で切っているのかな?

ちなみに現在の皇居(江戸城)は室町時代に太田道灌が造り、後に徳川家康が入城したもので、「桜の通り抜け」として公開される皇居 乾通りの途中には「下道灌堀」が残されています。また、西日暮里にある道灌山も太田道灌の出城があったという説もあります。

 道灌 (落語) - Wikipedia

人情八百屋

東日本大震災からしばらくして、独演会でこの演目をかけたとき「震災後に呼ばれた東北のある会場で何を演じたら良いかと悩んでいたときこの噺をやって、こういうときは爆笑でも涙でもない、落語としては山も谷もないこういう噺が良かった」というようなことをおっしゃっていたと記憶しています。
確かに『落語』としては起伏はないけど淡々とじんわり人情が伝わってくる噺です。

あらすじがWikipadiaになく、YouTubeでも聴けるのですが、公式かどうか分からず……
この立川談慶師匠のは公式がアップしていますので、こちらをどうぞ。


www.youtube.com